ヒトはなぜゲームをするのか

前回ご紹介した ”地球に山や森は存在しない” という記事の最後に、

”もしかしたらこの世界は、別次元の存在者が作り上げた、仮想世界なのかもしれないというような、フィクションでしかありえなかったような話が、ノンフィクションであったと解る日が来るのも、そう遠くないのかもしれない。。。”

という締めくくりで文章を終えたのだが、今回はなぜこの世界が仮想世界かもしれないと思う、ボク個人の見解を述べたいと思います。

そもそも仮想世界とは、

『実際にはない世界。特に、コンピューターで作成されたバーチャルスペース(仮想空間)』のこと。

 

 

 

 

 

我々人類は、長い月日をかけてやっとコンピューターの中に2進法による世界構築を実現化できるようになりました。

今となっては当たり前となった液晶画面も、スマホも、全て1世紀前には信じられなかった代物です。

ゲームの進化を見ても、ボクが子供の頃に流行っていたファミコン時代から、現在のPSに至るまで、かなりの進化を遂げていますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに今開発途中にあるVRの導入などが進めば、よりリアリティの高い世界が実現化されていくに違いない。

 

さて、ここで一つ質問させてください。

 

『アナタはゲームが好きですか?』

 

ちなみにボクは大好きです。ゲームにハマると、寝る時間もいらなくなるぐらいやれちゃったりします。

ゲームはそんなにやらない、って人でも、映画やドラマを見るのは好きってヒトは多いのではないでしょうか。

 

ボクはある日ふと考えました。

”なぜヒトはゲームや、自分たちを模したフィクションの作品を観るのが好きなのだろう?”

と。

そしてボクは、聖書の創世記にある一つのフレーズを思い出しました。

”神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。(創世記1:27)”

 

”全ての科学的な発見も、最初は仮説から始まる”

というアイデアを元にしてみれば、まず神(ボクらの創造主)という存在があると仮定してみます。

そしてその神は、なぜか自分たちに似せた世界、そして存在である”ヒト”を作り上げたということになります。

つまり”神”は、自分の世界だけでは退屈でつまらなかったから、”ボクら”というヒトや世界を創って、楽しんでるのではないか、という発想に至りました。

これって、ボクらの現実世界で、”人間”がやっている行為と似てませんか?

 

自分たちの現実世界では叶わないような、空を飛んだり、魔法を使ったり、ドラゴンと戦ったり、、

これらの夢のような体験を実現したく、我々はゲームや映画を作っているのだと思います。

そして我々人類は、自分達の命を蘇らせたりすることはできないですが、(今の所は)

ゲームや映画内の世界ではそれが可能です。(そういう設定にするだけ)

よく、キリスト教世界では、”神は万能であり、何でもできる存在”と表現されますが、

我々人類も、ゲームや映画の世界においては”万能”です。

つまり、ゲームや映画内のキャラにとっては、我々製作者は、”神”というわけですね。。

 

まとめると、ボクらを作った”存在者”(神)たちが(複数かは謎)、自分達に似せてボクらを創った。それは彼らにとってゲームをしたり、見たりしてる感覚かもしれない。

そしてその性質を色濃くインプットされた我々は、その擬似行為としてゲームや映画などの世界を作ることが好きなのかもしれない。

そうして、幾重にも重なる次元世界が、限りなく広がっているのかもしれない。

我々人類が、さらに全てのデータを数値化し、脳波や感情まで全てデータ化できた時、

我々は本当に ”神”   という存在に到達するのかもしれないですね。。。

 

 

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